『外道神父アルベルト・無法伝6』
街の風景に溶け込んでしまえば、それは何の変哲もないビルだった。
だが、そのビルこそが、これから血腥い戦場に変わるのだと理解出来ているのは、ほんの少数の者のみ。
その一人である紅花は、リムジンの中で車道の流れを眺めていた。
今すぐにでも姉がいるであろうこのビルに、数十人の部隊を送り込んでしまいたい。少しでも気が緩めば命じてしまいそうな自分を抑え、彼女は唯一人の男を待つ。
ふと、車の列の隙間に流れる金髪を見た。
車の脇をすり抜け、流れる様にバイクを走らせる男。アルベルトだった。
彼女が合図すると、運転手が即座に外へ出てドアを開ける。歩道に降り立ち、彼女は反対車線を走ってきたアルベルトと目を合わせる。
ぶるる、と携帯電話が振動するのを感じて取り出すと、車道を挟んで降り立ったアルベルトが自分の電話を指している。
「はい」
『よく待っていてくれました』
何処までも能天気に聞こえる声。苛々する気持ちを懸命に抑えつつ、しかし僅かに怒気を含ませた声で、
「貴方が片付けるというので、最後のチャンスを与えたまでです」
『感謝します。いや、それ以上に賢明な判断でもある』
「?」
紅花はアルベルトの言葉に訝しげな顔をしつつ、彼の顔を見ようとして、凍り付いた。
『私の獲物が奪われてしまっていたら、危うく紅花さんの用意した部隊を始末してしまう所でしたから』
ぴっ、と通話の切れる音にも紅花の指は動かなかった。
それ以上に、アルベルトの表情に驚かされた。
彼は、とても、紅花が見た事もない様な、凄惨な笑みを浮かべていた。
(あれが・・・あの男の本性なの?あんなの、人間じゃない・・・獣、いえ・・・・化物でしかない)
冷たい汗が流れる。あの男にかかれば、本当に自分の用意する部隊ですら壊滅させられそうな、そんな危惧すらさせる笑み。
あんな男が姉の主人であるなどと、紅花は今更ながら、二人が出逢った運命を呪った。
ビルの正面入り口に立ち、アルベルトはそのガラスの向こうを見る。
無人。
恐らくは、敵の勢力が結集しているであろうビルだが、そう大勢ではない。多く見積もっても三十人といった所か。
「ま、一時間・・・といった所ですか。それ以上は、面倒が多そうだ」
くすり、と笑い、アルベルトはゆっくりと拳を握り、そして同じ速度で手指を解く。
「行きますか」
ガラスに手を押し付け、ぐっと力を入れて押し開ける。
戦闘開始。
「《人食い》・・・ですか?」
「あぁ、そうだ」
豪奢なデスクに脚を投げ出し、葉巻を吹かす己の上官に、大男は怪訝な表情を返す。
「モンスター・・・ですか?」
「その通りだ。ガキが夢中になるゲームや漫画に登場する様な、現実には存在し得ないモンスター。《人食い》だ」
吐き出した煙を目で追う男は、ふとその視線を大男に定める。
「俺の言っている意味が分からないか?」
「何のお話か、見えません」
「現実に存在する《人食い》の話さ」
脚を下ろして立ち上がると、背後の窓にかかったブラインドの隙間を指で広げる。
繁華街に比べれば大人しいが、それでも活気に溢れる街並みを見下ろしながら、葉巻を咥える。
「現実の・・・《人食い》・・・ヨーロッパに存在した傭兵の?」
「さすがだな、フランク」
にやりと笑いながら振り返る。
「そう、ヨーロッパの戦場に立っていた軍人、テロリスト、傭兵達の間で噂された、たった一人の傭兵。《人食い》だ」
「しかし、あれはただの噂では・・・」
「違う。《人食い》は現実に存在していたのさ。最強とまで言われていた傭兵集団の中にな」
大男は記憶を探る様に視線を彷徨わせ、
「ジェイル・オブ・ウルフにですか?」
「そう、史上最強ではないかと囁かれた傭兵部隊は奴らだ・・・その中に、《人食い》はいたとされている」
男は葉巻を灰皿に押し付け、苦々しい表情で大男を見上げる。
「奴が立った戦場で生き残った敵兵は皆無。どんな熾烈な戦場でも、何人の仲間がくたばろうと、奴だけは唯一人戦場に生き残り、立っていたと言う。全身を敵の血で染め抜いて・・・《人食い》が男か女か、性別すら様々な噂が流れている。だが、恐らく男だ。そして、今まで信じていなかった噂もある」
男は言葉を切り、椅子に再び腰を下ろす。
大男は、上官の次の言葉を直立不動で待つ。
「血で染め抜かれた《人食い》・・・その身が纏っていたのは、我々に馴染み深い武装ではなく、漆黒の法衣だったという噂だ」
大男の顔に、さすがに緊張の表情が表れる。
「では大尉・・・」
「あぁ、今俺達のアジトである此処で暴れ始めやがったクソ野郎は・・・《人食い》だ」
「ぐぎゃああぁああああああああ!」
腹の底から搾り出された悲鳴に、アルベルトはくつくつと笑みを洩らす。
「まだ肩と肘の関節が砕けただけですよ」
そう言いながら更に手首の関節を砕き、首に腕を絡ませると瞬時に砕き折る。
「さて、これでこの階は終了ですかね」
一階の中央回廊に並ぶ死体の群れを振り返って笑う。既に十人に近い数が死体となって転がっていた。
全員例外なく武装し、戦場を潜り抜けてきた兵士であったにも関わらず、アルベルトの体はおろか、服にさえ綻びや傷はない。
「少々拍子抜けですらありますねぇ・・・こんな程度とは」
煙草を咥えると火を点け、深く吸い込む。美味そうに紫煙を吐き出しながら、廊下でただひたすら直立。
「こんな状態を攻め込む度胸もないのか・・・それとも慎重という臆病風に吹かれたか・・・」
にやにやと笑いながら、無造作に階段に脚を伸ばし、直後疾風の様に全力疾走。
上方から雨音の様に連続する銃声。弾痕がアルベルトの軌跡を追う様に壁や階段に無数に穿たれていく。
「結構結構。そうでなくては面白くないし・・・何より、貴方達は歴戦を潜り抜けた猛者なのでしょう!?」
懐から自動拳銃を抜き放ち、二階に飛び込むと同時に階段の踊り場方向へ連射。そちらを見もせずに通路の陰に身を滑り込ませる。
回転式拳銃を取り出しながら、胸元でピンを引き抜く。その隙に、通路に面したドアが開け放たれ、マシンガンを構えた男が狙いを―
「まだ甘いですねぇ」
アルベルトは慌てる様子もなく、胸元でピンを引き抜きながら転がした手榴弾を見やる。男の顔が驚愕に染まるのを横目に、アルベルトは二挺拳銃を連射しながら通路を飛び出して再び階段へ。
アルベルトの銃撃から身を隠しながら応戦。男達は更に階上へと。
アルベルトは軽く体を宙に。同時に手榴弾が炸裂。爆風を受けて、階段を一瞬で駆け昇る。爆発の衝撃で、態勢が崩れた男の後頭部に銃弾を撃ち込み、その死体を盾にして更に射撃。
喉を撃ち抜かれて階段を転がり落ちていく男を見送ってから、死体を同様に階下へ投げ落とす。
「どうしました?まだ戦場の勘は戻って来ませんか?これでは、戻る前に全滅ですよ」
冗談ではない。
そう思った。
フランクは四階の武器庫から目的の物を取り出しながら、舌打ちする。
無線で届くのは部下の死ばかり。敵の情報など何一つとしてない。強いて言えば、着実にこの四階に迫っている事。
フランクは隆々と盛り上がった筋肉を震わせながら、自慢の武器の冷たい鉄の感触を確かめる。
「来い・・・《人食い》」
「くそっ・・・クソ神父、がっ・・ぁ・・・」
銃弾を首に撃ち込まれ、怨嗟の途中で男は事切れた。
「やれやれ・・・これで、ほぼ壊滅ですか」
何本目かの煙草を吐き捨てながら、苦笑を洩らす。
私が強いのか―彼らが弱いのか―
否。
「化物に勝てる人間など、存在しない。その摂理だけ、といった所ですか」
くつくつと笑いながら四階へ。同時に凄まじい殺気を感じて、疾駆。アルベルトが駆け抜ける直後、銃弾の暴風が吹き荒れる。
視界の隅に捉えたのは、
「くたばれ、《人食い》!」
ガトリングガンを乱射する巨躯。
「ははっ!こいつは面白い余興ですね」
疾走の速度は落ちず、そのまま廊下の角へと滑り込む。刹那のタイミングで無数の弾丸は廊下の壁を撃ち崩し、静止。
「いやぁ、まさかそんな物を持ち出すとは思いもしませんでしたよ」
滑り込んだままの状態で冷静に、余裕たっぷりに弾倉を交換する。
「これは私にとって戦友だ。貴様を殺すには、これしかない」
「いや、全くです。さすがにやり辛い」
弾倉を交換した二挺を片手に持ち、煙草を咥える。火を点け、紫煙を吸い込んでから、
「私の二つ名に思い至ったのは貴方ですか?」
「いや、私の上官だ」
フランクも油断なく構えたまま、アルベルトに答える。
「成る程。馬鹿ではないらしい」
「私と目も合わせられぬ臆病者が、大尉を侮辱するな」
くっくっと笑いながら紫煙を吐き、アルベルトは回転式拳銃を右手に持ち替える。
「申し訳ない。貴方と目を合わせたら、すぐにでも殺してしまいそうで」
煙草の先端が紫煙を吸うのに合わせて短くなる様を見つつ、
「楽しまなきゃ、損ですよ」
「戦闘狂のくそったれが」
ぷっと煙草をフランクの視界に吐き捨て、
「褒め言葉ですよ」
壁に向かって駆け上がる。
フランクの掃射に煙草が千切れ飛ぶ、更に上の空間を抜いて廊下に飛び出す。即座に対応してその射線を天井部へ変えるフランク。
だが、一瞬のタイムラグはアルベルトを同時に床へ。胸が擦りつきそうな低姿勢から疾駆。射撃。
二挺から吐き出される弾丸。ガトリングガン等の重火器は、その破壊力と引き換えに機動力を大きく失うのが当たり前。アルベルトの取った行動は、既に相手を死に至らしめている行動。
だったのだが、
「っ!?」
さすがに息を呑んだ。
フランクの腕の筋肉が大きく隆起し、幾らかコンパクトにされていたとは言え、ガトリングガンをアルベルトからの射線上で盾にしたのだ。
(さすがに、これは―)
更にフランクの巨躯が動き、その怪力で振り回したガトリングガンで殴りつける軌道を取る。
「ちっ」
舌打ちしながら、更に疾駆。手近なドアに体をぶつけるのと、ガトリングガンの砲身による横殴りの一撃が同時。
「終わりだ!」
フランクがそのまま掃射を仕掛けようとした瞬間、苛烈な二挺拳銃の銃撃に廊下に引き返さざるを得なくなった。
(あの状況で勝利を奪えぬとは・・・)
少しの思考。歯噛みをしつつの思いから、舌打ちを一つして冷静な分析へ切り替える。この状況は今回の戦闘で初めての好機。フランクは手早くガトリングガンへの次弾の装填を済ませる。肩から掛けた弾薬のベルトを繋ぎ、掃射への準備を済ませ、
「だが、これで終わりなのは変わらぬ。そうだな、《人食い》!」
必殺の掃射撃を仕掛けながら、部屋の中へと踏み込む。
鼓膜すらも撃ち抜かれたかの様に聴覚が麻痺する轟音の中、フランクは部屋の隅々までを掃射。アルベルトの隠れられそうな位置は全て。バスルームへと続いているドアを撃ち抜き、その中まで破壊し尽くし、再び部屋の中へ―
紅花はひたすら車の中でアルベルトと姉の帰りを待ち続ける。
全てはあの男が終わらせる。どんな危険人物であれ、姉を救う目的が何であれ、決着をつける事に間違いと不安はない。
それでも、ただ待たされるだけの時間は苦痛だった。
「あれから一体何分経って―」
それが起きたのは、紅花が時間を確認しようとした瞬間だった。
突然地響きを伴い、空に轟く爆発音が起こった。
「なっ、まさか!?」
慌てて車外へ飛び出した紅花はそこに信じられない物を見た。
真っ黒な煙。吹き出す炎。砕けた窓枠に、路上に降り注いだガラス片。
そして、外れそうな窓枠に辛うじてぶら下がったアルベルト。
「命が、惜しいという気持ちはないの・・・?」
呆然と、そんな言葉しか出てこなかった。
「ふぅ、さすがに危険な賭けでしたかねぇ」
その割には、何処にも緊張も何もない顔で完全な瓦礫の山と化した部屋から出てくる。所々に炎の移った水浸しのカーテンを脱ぎ捨て、ぼろぼろになったベルトを投げ捨てる。
「安物でもなかったんですけどねぇ」
惜しそうにそれを見てから、部屋を振り返る。
バスルームの手前で巨躯が倒れていた。咄嗟にガトリングガンで爆発の直撃を避けようとしたのだろうが、あれでは即死だろう。
「中々手強い相手でしたよ、貴方は」
全てが賭け。
残っていた手榴弾二発。その安全ピンを纏めて鋼線で結び、バスルームのドアに結びつけた。窓際のテレビと、バスタブに溜まっていた水がなければ、さすがに死も近かった。
悪運としか言えない自分の状況に苦笑。
「まぁ、悪魔の運という事にでもしておいて下さい」
死体に微笑みかけ、アルベルトは最上階へ。
「こんにちは」
「あぁ、くそったれ神父」
最上階、マフィアのボスを務め、今も尚部下達の信頼する上官であったイワコフは、アルベルトを見据えながら葉巻を優雅に吸う。
「あぁ、上等な葉を使っていますね。羨ましい限りだ」
そう言って、自分も煙草に火を点ける。
イワコフのオフィスで対峙する二人。その中間点に置かれた椅子には、目隠しと猿轡をされた白花がいた。
アルベルトとの距離は三メートル程。その距離で十分に、彼女の体が放つ異臭は嗅ぎ取れる。
「可愛がって貰えた様で」
アルベルトの言葉に、びくりと白花の肩が震える。
「可哀想に。怯えてるぜ・・・大好きなご主人様に怒られやしないかって」
葉巻を燻らせながら、イワコフが笑う。
「怒る?そんな心配は無用ですよ。安心しなさい、白花」
強めの口調で言う。すると、すぐに白花の怯えが消えた。
「ふんっ・・・犯されてよがり鳴いた小娘が・・・ご主人様に許して貰えて、もう怖くはないか」
無造作に取り出した拳銃を白花の後頭部に向ける。
同時に響く撃鉄の音に目を上げれば、アルベルトの二挺の銃口がイワコフを狙っている。
「良いのか?死ぬぜ」
「殺せますかね?」
イワコフは鼻を鳴らし、
「そこまで遅くねぇさ。試すか?」
「試して間違いがあったら、殺されてしまう」
くつくつと笑って紫煙を吐き出す。
「だったら、お前は自分の弾でも食って死ね。そうすりゃ、小娘の命は助けてやる」
「白花の解放、でないと困るんですよねぇ」
「命があるだけマシだろ」
「命と誇りが大事だ」
二人は睨み合ったまま、一ミリも動かない。
この状況でさえ、二人は互いの隙を狙っている。
神経が麻痺しそうな程重く、鋭い沈黙が流れる。
果たして何秒か、何分か、それとも何時間か。
ぱりんっと突然、やけに大きく響いた乾いた破裂音に、一瞬、否刹那とでも呼んだ方が相応しい動きが、イワコフの手に走る。
「白花伏せろ!」
椅子を蹴倒し、床に体当たりする様な勢いで倒れる白花の頭のあった位置で、二人の銃弾が炸裂し―
「・・・・くそったれ・・・・」
イワコフの頭が折れる様に項垂れた。
「やれやれ、怖かったですねぇ」
そう言いながら目隠しと猿轡を解いてやり、白花に微笑む。
だが、抱きつくかと思っていた再会シーンはなく、白花は申し訳なさそうに俯いている。
「・・・・?」
怪訝そうに顔を覗き込むアルベルトに、
「ごめんなさい・・・私は・・アル様の物なのに・・・少し、汚れて、あぅ」
言葉の途中で、白花はアルベルトの法衣を頭から被せられて詰まる。
「そんな心配は無用。そう言ったでしょう?」
そのまま法衣を被せた頭を優しく叩くと、小さく頷く動きがあり、少しだけ、肩が震え始めた。
苦笑し、アルベルトは法衣を被せたまま白花を促して、手を引きながら地上へと戻っていく。
無数の死体を越えさせ、玄関のドアに手を置き、白花に被せた法衣を軽く上げて顔を出させてやる。
「さぁ、姉思いの妹さんが待ち侘びてますよ」
ドアを開け、そっと外に押し出してやる。
「姉さん!」
聞こえてきた喜びの声に、笑みを浮かべつつ、振り返りざまの裏拳を放つ。ドアが閉まっていく中、軽く頬を掠めたナイフに血の雫が追う様に舞う。
鼻っ柱に拳を叩き込まれたのは、フランク。
「まさか、生きていようとは思いませんでしたよ」
よろめくフランクに笑みを浮かべて言う。
「貴様は確かに化物だ・・・だが、私は生きている限り、貴様をこのまま帰す訳にはいかない!」
大振りのコンバットナイフを構え、瀕死の重傷を負っているとは思えぬ動きで迫る。
「大した心意気ですよ、全く!」
ナイフの軌道を、ナイフの側面を掌で叩いて逸らし、その手で作った拳を鳩尾に叩き込む。下がったフランクの顎に、振り上げた両脚を入れ、そのまま首に巻き付ける。
「さようなら、愉しかったですよ」
体を持ち上げると同時に回転、脚で固めた首の骨を呆気なく叩き折る。
フランクの肩から飛び降りると、今度こそ巨躯が崩れ落ちる。
アルベルトはその、完全に死体となった物を見つめ、右手に握り締められたナイフを抜き取る。
「記念に、貰っておきますか」
そう呟いて、アルベルトは不安げにビルを振り返っている二人の方へと、歩いていくのだった。